Mar 13th, 2017
13.ミサ
到着の午後。なんとか宿をみつけて飛び込む。
アルベルゲではなく普通のホテル。
ベットの上に巡礼証明書と巡礼手帳を並べてみて、たくさんのスタンプを見返してよく歩いたものだなあと思う。大聖堂に到着したときにもなかった旅の感慨がこみ上げてきてちょっと泣く。僕はつくづく結果より過程に重きを置く人間なんだなあ。卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう?そんなことないですって。
翌朝はチェックアウトギリギリに起き、もう次の街に移動しなくていいのか!と、当たり前の発見に贅沢な時間を過ごす。
正午。大聖堂では巡礼者の到着を迎えるミサがありそれに参加。
世界中の巡礼者の出身地と人数が読み上げられ、歌えない賛美歌を心の中で歌った。観光客のお目当てであるボタフメイロという巨大な振り香炉が教会内をスイングし、寄付をして、周りの巡礼者たちと握手をしてミサは終了。
大聖堂をでると僕の巡礼が終わったことを実感した。ぞくぞく到着する巡礼者を見て先輩気分で懐かしく「到着おめでとう」と思う。
街を散策して両手が塞がるほどお土産を買った。
家族に、会社に、友達に、旅先で買うお土産は、自分の帰属する共同体へ、日常に戻る手続きだと思う。荷物を増やすことに罪悪感があるのはまだ巡礼を引きずっているからなのでしょう。
「車輪のついたものには乗らねえ」と決めていたのも過去の話。午後一の鉄道でサンティアゴを発って帰国便のでる街へ向かう。サンティアゴはどんどん遠ざかって、どんどん日常が戻ってくる。どんどん日常に戻っていく。
サンティアゴを出発してたったの1時間。帰国便のでる街につく。
すごいなあ鉄道。巡礼だったら3日かかるんだから。
なんてね。いつまでも巡礼の話をしてる場合じゃない。
フライトの時間まではまだまだある。
知らない街の観光は始まったばかりだ。
今度はバスに乗ろうか、それともまた歩いてもいいかもしれない。
【おわりに】
旅の目標「困難を成し遂げることで自信をつけたい」
これがどうなったのか、聞かれることがあります。
「特に自信がついた気はしない」
それが、当初の気持ちでした。なぜって、やったらできちゃったから。普通のことのように思えてしまう。
でもそう答えると聞いてくれた人は
「いや、それはすごいことなんだよ」と。決まって言ってくれる。
そうしてやっと旅の軌跡を振り返って、徐々に自信をもってもいいのかもしれないと思えるようになってきました。
以上が、僕の1ヶ月休み「サンティアゴ巡礼」です。